昭和57年6月11日 朝の御理解 【 末永信太郎 】
第89節 此方の道は傘一本で開くことができる。
もう30年近くも前に、こんなお知らせを頂いた。当時、椛目で金光教神愛会という看板のもとに、お取次ぎの御用をさせて頂いておった。まあ、それこそ門前いちを出すような沢山な人が、あの狭いお広前に集まっておった時代です。当時、甘木の教会と言えば日本一と言われるような、大きな立派な教会でございますが。あちらにも、やはり真愛会というのがある。もちろん、三代金光様からお書き下げを受けられたと。私の方もやっぱりそうであった。それが、真の愛の会と、甘木には書き下げておられる。
そすと、久留米の方にも、これはちょっと遅れましたけれども、あの親愛会という教師の会があります。これも三代金光様に頂かれたという事ですが。これは、信心、しん。信心の信に愛の会、信愛会。そすと、甘木のは親の愛の会でしたね。やはり、しんあいかい。なら、合楽でもやはり信愛会と。それは神の愛の会と書いて、神愛会という時代でしたが。大きな傘に神愛会と、当時の椛目のあの神の愛の会と書いてあるですね。
あの、よう昔番傘にこう印を入れました。あんなように大きく書いてある。その下にこう、あの、親の愛の会、信心の愛の会、信愛会というのが、その傘の下にこうあるところを頂いた。ね。まあ、言うならば神愛会の傘下という事になりますね。それは、あの、権力の元にとか、勢力の元にそれを、あの、権勢するといったようなものではなくて、私は思うのに、まっ、合楽で言われる御理念というのは、私は確信する。もう、教団全体がこの御理念による助かりといったようなものが浸透して行かなければならない。
そういう意味で、んなら、もっともっと、この神愛会という傘が、ね。言うならば、全教を包めれるような大きな傘にならなければならないという事でございますよね。この傘が小さかっては入られない。これがいよいよ大きくなって行かなきゃならない。ね。まっ、間違いますと、私が、んなら教団を傘下にするとか。甘木やら久留米やらを自分の傘下にするとかという風に頂くと、大変これはご無礼な事になります。そういう意味じゃないです。
私自身の言うなら傘と安心と言われますから、安心の傘がもっともっと、広く大きくなって行かなければならない。そして、合楽で現れておるようなおかげがです、ね、日勝り月勝り年勝りに教団がいよいよ発展のおかげを頂かなければならないという事であります。先だって、ここの北九州の偉い信者、先生方が集まって、志賀の島で、一泊信心研修があった時に、ある方が発表しておったのが、教団、今のままでは、もうジリ貧だ。だから、どうとかせななきゃ時だと。百年祭を記して。
これは、秋永先生が言っておりました。今の、(鯛?体?)の話だったそうですけれども。これは、どうでも合楽の真似せないかんという話が出たということですが。また、実際に私はそうだと思いますよ。ね、ならジリ貧になって行っておるというような事があって良かろうはずがない。段々、日勝り月勝り年勝りに、こう広がって行かなければ駄目だ。それも、んなら、ただ広がるというのではなくて。ね、いわゆる信心内容が大きくなれば、この傘が大きくなればなるだけ、この傘下に集まって来る人は、ね、言うならば数を増して行く事であろうようにです。
私は今朝方から、もう長い長いお夢を頂いておった。というのは、あるテレビ局から、その、で、何か生神様とか、生き仏様とかと言われるような人のところで、人がどんどん今その助かっておるというシリーズなんです。それで、その、合楽に取材に来ておるというのです。何かそれは、どうも面白半分的なね、その、大したニュース性もないような、その事での発足だったらしいですけれども。
合楽で段々、こう取材をして行く内に、合楽の場合が一遍にあっという間にこうなったんではなく、日勝り月勝り年勝りに、いわゆるこちらの信心、こちらの信心の傘が大きくなるに従って、その傘下に集まって来る人達が沢山多くなったという。話を聞いてね、その取材の(場合?)ところはしなかったけれども、その取材が終わって、あの、テレビで何、私は名前を忘れましたけれども。大変、上手な司会をされる、非常に笑顔のいい何とかという人ですが。名前を知りませんけれども、その方が、まあ、あの、長で来てある訳です。そして、先生、お話を頂けば頂くほど、もう取材は終わりましたけれども、先生のお話をしばらく頂きたいと言うて願われるんです。
ね、それはいいですよ、どうぞと言うて、私の部屋にご案内しました。重雄さんがおられましたから、繁雄さんがお茶やら出して下さって。それから、お酒が好きという事でしたから、私があの、ナポレオンという最高のブランデーがあります。そのブランデーをこう出して、こうビンを出してから、注いであげたところが、少しずつ私と二人注いだら、もうそれでお終いだった。もう、お終いになったんです。そしたら、繁雄さんがあの、んなら、勝手な方へ行ってもろうて来ましょう。
けん私も、せっかくなら、やっぱ同じあの、ナポレオンがいいですよと言うたら、もう取りに帰られました。その間に私が色々お話をしておる事です。本当に私が昨日お月次祭に皆さんに聞いて頂いたようなお話をしていたんです。ね。もう、あのままのようなお話をしておりました。もう、いよいよその、まあ、感心を寄せて来られるわけですね、お話を聞きながら。そして、例えばね、ここでは、私が必要と思うたものは必ず集まりますよて。ね、ここで玉露のお茶をすすっておる時に、はあ、ここにようかんが一切れ欲しいなあと言うたら、誰から必ずようかんを持って来ておりますよ。
というような、まっ、お話をさせて頂いておりましたら、繁雄さんがブランデーを持って見えました。そしてから、チョコレートがありましたから、持って参りましたと言うて、出されたら、その人が私の顔をジロッと見て、はあ、ほんなこっですねえちゅうような顔をする訳ですね。ブランデーにチョコレートが合うことがね、ちゃんと、そのチョコレートまで一緒に繁雄さんが持って来ておられるです。そして私がね、久富まさき先生が話をずうっとその方にしたんです。
もう、この人はですね、三十年ぐらい前にない命を助けて頂いて、まっ、おひはいさんでいに書く、何々進氏とこう書く、進氏にならなければならないのが、信心の徳によって、紳士になり。ね。神様へ仕える紳士という事になり。もう、それこそ日勝り、月勝りにこの人の信心が一回りずつ大きくなって行くに従って、久富建設が大きくなって行っとります。ね。と言うて、まあ、久富まさき先生が信心を、私が話しておりましたんです。そしたら、まさき先生がヒョロッとやって来た。あらっ、今あんたが事話しよったっちゃが、まあ、こんな風だから合楽は桜使っとるて言われるもんねという話をしておりました。
今、私が貴方にお話する人はこの人です。だいたいは信心が、運命的に言うたら、30年前にもうこの世にはない人でした。それを、神様のおかげ、御神徳によって、しかもそれから、んなら、一年一年、言うなら信心が一回りずつ大きくなるにしたがって、おかげもまた、大きくなって今日の久富建設があるという。もう、その一回り一回り信心が大きくなって行くから、一回りずつ大きくなって行けれるという話に、えらい感心を寄せられんですね。
これは、他所の仏様とか神様とか、他所で言う生神様とは違うて。という事です。それからまた、私の話が続きました。私はもう人から、もう親神様とか、生神様と言われるとが一番嫌いなんです、だいたいは。ね、けれども、まあ、もしもあちらが親神様ですかて電話が掛かってくると、はい、大坪ですて私が言うんです。ね、それこそ教祖様じゃないけれども、無学の百姓とご自分を言っておられましたように、私もやはり、無学の商人だ。私は商人出ですから。そこで、こういう人が助かるという事の中にも、時々ね、そして昨日の夜の御理解の中から、ね、神様に言うならたてがわれるという話が出てきましてね、昨日。ね。
修行に入ったばかり、どうでも自分が助からなければ、自分が力を受けなければで、言うなら修行に入ったのに、神様から小さい子供の声で、ね、お前にはほうれん草はやらんとこういう。お前が力を受けたいと言いよるけど、お前には力はやらんとこう言われておるとと同じ事ですがね。だから、それは神様がたてがえよんなさいよるとじゃから、例えばたてがわれても、それに縋る気持ちで、どうぞ力を与えてください、ほうれん草を与えて下さいと言うて、願うて行かにゃいけんという話が昨日の芯でしたね、月次祭の時の。
と同時に、神様がね、たてがいなさるだけではなくて。ね、おだてなさる事があるぞという話をしておりました。ね。今、私の部屋に補綴さんのお絵がかかっております。あれはなんぜんじ?の先代の和尚様て言うでしょうか。が、書かれたという事で。筑豊の安東さんのお供えです。そのお供えが来た時の御理解が、ね、あれに補綴さんが書いてあって、あれに三が書いてあります。その三にね、天上界においては弥勒菩薩、地上界においては補綴和尚と書いてあるんです。
そん御理解をですね、天上界においては天地金乃神様、人間界においては大坪総一郎という御理解を頂いた事があるんです。今、客殿に、これはしょうどう先生が書かれて贈られた、あん、短冊がかかっておりますね。あれには、ね、三千年に一度咲くという桃の花の咲くという、桃の花の咲いた時に生まれ合わせたという事が、有り難いという意味の歌が書いてあるんです。そん時にもそうでした。大坪総一郎という宗教家は、ね、いつもかつも出る宗教家じゃない。もう三千年に一遍しか出らんごたる宗教家だというような御理解を頂いた事がある。
もう、そういう時にです、私がどういう風にそれを受けるかと言うと、もう、ははあ、神様がおだてよりなさるなあと思うのです。ね。何で私が生神であろうぞいと、教祖様が仰ったように。何で私が生神であろう、親神様であろう。と、思い言いながらでもです、それに実証的におかげが現れて参りますとです。ね。例えば、また、私が生まれてから今日までの、まっ、宗教的な一つのエピソード的なお話がいくらもありますね合楽には。そういう話をずうっと私がその、そのテレビ局の方にお話をしてるんです。ね。
そして、私は改めてその、神様がなるほどおだてて言いよんなさるとに違いはないけれども、それに裏付けをするかのように、一年勝り、代勝りとまでは行かんにしてもです。日勝り、月勝り、年勝りにおかげを頂いて、言うならば士農工商と言われる四人の息子達が、またこれをガッチリ受けとめて、いわば代勝りのおかげを頂いて行く事だろうというようなお話をしておる。もう、いよいよを持って関心し。
ね、で、あの、いわゆる生神様、生き仏様のその、と言われておる、まっ、沢山人が助かっておるという、まあ、興味本意の、まあ、シリーズの、まっ、事でございましたでしょうけれども。これは、違う。まっ、言うなら、これが本当のもんだというような風に、段々分かって行かれる様子で、もうそれも長い長い時間かけて、お話をしておるところでありました。ね。例えばブランデーが、まあ、グラスに少しずつ( )しまえた。
その辺んところが何とも言えん感じがしますね。したら、繁雄さんが、んなら、食堂へ行ってみましょう、あるかも知れません。せっかくならば、同じ、あの、ナポレオンがいいよと、こう言っておる。ったら、ナポレオンがありました。しかも、チョコレートもあったから、持って来ましたと言うておられる。私も、まさき先生が、言うなら30年間のおかげを受けて来た事をです。
ね、先生の信心が段々だんだん、一回りずつ大きくなるにしたがって、大きく久富建設がなって行っておるという事実にです、これは、ただ事ではない。宗教、信心とは結局、心しだい。心しだいがいよいよ大きく、豊になるに従って、おかげも豊に大きゅうなって行く。これなら、道理に合うて、ただ、不思議、不思議と言うだけの事ではない。それでいて、日々が、なら昨日の御理解を、まあ、お話をした訳でしたけれども。
ね、そういう素晴らしいタイミングが、生まれて来る日々。不思議と言うてはならんと仰せられるけれども、不思議と言わずにはおれないというような、神秘の世界に住んで、段々それが育っておかげ頂いておるのが、今日の合楽だということなんです。だから、テレビ局から取材にひょっとすると来るかも知れん。そん時にはまちっとばっかりおかげ頂いておかにゃいけんなという風に、まあ、思いました事でございますけれどもね。ただ、合楽の素晴らしい事は、一年勝り、代勝りであるという事なんです。
日勝り、月勝りであるという事。言うならば、私の安心の傘が、いよいよ一回りずつ大きくなって行けば行くだけ、この傘下に集まる人達、助かる人達が多くなって行くという事が、私は合楽の値打ちだと思うですね。ただ、急に生き仏様のようになって、そこでどんどん人が助かる。病人がどんどん助かるじゃなくて、決してどんどんな助からん。願う氏子におかげを授けと仰るから、昨日の話の中にも申しましたようにね。胃癌じゃない、胃に何か出来物が出けておるから手術せんならんというのが、ね、4~5日の間に影も形も無くなっておったという、日田の綾部さんのお導きの方。
または、東京の梨本という人が昨日手紙が参りましたが。子供のヘルニアが手術する寸前に、おかげを頂いて手術せんで済むようなおかげを頂いておるといったようなおかげがです、んなら、誰彼の上にもそういう、はあ、金がないけんお願いしますち言うたら、金がパッとお繰り合わせ頂いた。病気、ならそういう事ではないて。それは、願う氏子におかげを授けて下さるけれども、次には理解申して聞かせ。その人の心が豊に、大きく一回りずつ大きくなって行く事を願われる神様なのだと。
だから、そのおかげを頂いて行くにしたがって、一回りずつ大きくなって行くというおかげでなからなければならないて。ね。神様の働きをです、ね、示してくださる、現して下さる。なるほど、神様じゃなというような、言うなら奇跡的おかげもあるけれども。奇跡、奇跡が続くといったようなものではない。合楽の場合は、もうとにかく信心の出けしだい。信心が一回りずつ大きくなって行くしだいによって、おかげも大きくなって行くという、しかもこれは生涯かけて。
あの世までも、この生き方を身につけて行こうと言うんだという。もう、そういう、それももっともっと、まだ大変詳しいお話でした。もう、それを一つ一つ合点しながら、しかもそこに、桜を使うておるように、その繁雄さんの話と言い、そのまさき先生がヒョロッとやって来たというような、その、裏付けですね。おかげの裏付け。ね。本当にその、実証を示しながらのお話に、もうほとほと感心しておられるという、お夢を今朝から頂いて、まあ、今朝のこの御理解を頂いたが。
いよいよ持って、この方の道は傘一本で開けれる道と、例えば何人かの人が、この傘の下に集まるだけぐらいな事ではなくて。ね。この傘が大きくなって行けば行くほどに、沢山の人が傘下に集うて来る、助かる人達が多くなって来るような、おかげを頂きたいという風に思うです。ね。いよいよ、昨日から申ししておりますように。ね。お互いが、そういう天地と共に呼吸しておるような。ね、天地の大生命と一つになれれるような。はあ、あんな難しい事は出けまいと言わずに。
んなら、そんなら、本気で土の心にならせてもらう。ね。なかなか難しいですもんね。昨日、鞍手の柴田さんがお届けをされました。もう、自分が今一生懸命燃えておられるわけです。だから、ぐずぐずしておる人達が歯痒うしてたまらん訳です。で、貴方、まちっと信心しなさらにゃ、毎日日参でもしなさいと言うて、こう言うと、言われた人が、不愉快な顔をする。人にコリを積ませる。私どんもそういう時代があった。けれども、そういう止むに止まれんような時にでもです。
ここが黙って治めるんだな、思うなら思うほど、その人の事を祈ることだなっという風にね、気づいて行かれるにしたがって、んなら柴田さんの心が豊に大きゅうなって行く。ね。成り行きを尊ぶ、大切にさせてもらうという手立て。ね、その気になりゃ、誰でも出けるというような信心のけいこを日々させて頂きながら、ね、天地と共にこれが呼吸しておるのであろうかと思うようなおかげ。ね、それこそ神秘な世界に住んでおる自分が、いよいよ有り難くなって来る。そういうおかげ。ね、そういうおかげの頂けれるけいこをしておるんだという事でございます。どうぞ。